ブログを作ることは「知の城」を築くこと

masaです。

以前の投稿で、

ブログの記事を貯めることを3つのうちの1つに挙げました。

なんで、ブログの記事を貯める必要があるのか?

を改めて掘り下げます。

50代で貯めるべき3つとは?

 

ブログは、「日記」でも「エッセイ」でも「テキスト」でもない

 

もちろん、日記しかプログにupしない人もいるでしょうし、ノウハウの解説を中心に書いたり、思ったことを詩とか散文の形式で書く人もいるでしょう。

masaも、今後、日記や解説を投稿することは考えています。詩は書かないかもしれませんが、詩人やその作品に興味を持つことは考えられます。

ブランディングに役立てるために使う人もいるでしょう。

この点も否定しません。masaという人間の評価がブログという媒体によってなされることは、直接会ってアピールすることができない人たちにも伝わるし、会ったとしても短い時間で伝えきれるとは限らないわけですね。

名刺代わりとは言いませんが、じっくり読んで下さった方々には、masaという人間の想いや性格、知見など人物像が形成されている、会った時にmasaのことを知っていてくれたら、めちゃくちゃ嬉しいだろうな、とワクワクします。

「想念」というカテゴリを設けたのは、まさにそのためです。

masaにとって、このカテゴリは最重要であり、カテゴリ欄の先頭にもってきているのはその証左です。今後、カテゴリを増やしますが、先頭は「想念」から変えることは無いと断言します。

露骨な受け売りや、誇張はやらない。

それは、masa自身の性格からくるものでもありますが、

ブログ読んでくれた人が、会ったときに、想像よりショボい人だった、と思われないようにしたいため。

「知の城」 それは、自分の「歴史遺産」にもなる

 

小さいとき、公園の砂場や海水浴場の砂浜でお城作りましたよね。

あるとき、ふと、それを思い出しました。

たわいもない子供の遊びではありましたが、つくることは楽しいことだったということは記憶します。

中に洞穴つくったり、表面に乾いた砂をふりかけたり、頂上を平らにしたり尖らせたり。

大きさもデザインも、自分の好きなように作れるわけですよね。

 

ブログを書き続けることって、同じなんじゃないのか、と思ったのです。

自分の想いを自由に表現し、積み上げていく。

構成も数も自由。

気に入らなければぶっこわして作り直すのも自由。

想念、知見、主張などを少しずつ築き上げ、気が付いたらお城になっていた。

「知の城」 

それは、自分のいう人間の生きた証でもある

じゃあ、「自分史」でも自費出版したら?などと勧誘が来てしまいそうですが、そうじゃない。

本も一つの「城」の形でしょう、自伝も立派な文学作品ですし、「自分史」で自己の歴史を遺すことも素晴らしいことだとは思います。

でも、masaの感覚では、ブログは「本」の電子化ではなく、建造物なんですね。

今はうまく説明できないのですが、コンテンツ自体は文字や画像という2Dなんだけれども、それらで構成されたひとつのブログは3Dになるイメージなんです。

もし、ブログの一カテゴリをPDFにしても、それは、

形式的には2D→2Dであっても、masaにとっては

3D→2Dへの転写 なのだと。

 

これは、今もそうですが、書いている時点で、組み立てている感覚があるんですね。

いざ始めたら、基本は、思ったことを反射的に書き連ねるですけど、最初に思いついた時点から、実際に書こうと決意するまでの間に、

頭の中で完成図をイメージしているような感覚がある。デザインといってもいいかもしれない。

ただ、砂の城が波に飲まれて崩れてしまうのとは異なり、

刹那的ではなく、長い間残せる(可能性がある)

ということ。

後で読み返して、気に食わないところは書き換える(リフォーム)もするでしょう。

そして、自分自身の歴史を遺す重要なアイテムにもなり得るものだと。

 

50歳代で貯めるべき3つとは?

2016年11月13日

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ABOUTこの記事をかいた人

1965年生まれ 会計士試験に5回挑戦後、会計事務所に就職、現在は一般企業の経理職を20年と経理一筋に生きてきた、さすらいの会計人(びと)。 会計で社会の未来を変えることを信じている。 内向的な性格を損だと思って生きてきたが、今では独自の世界観を築くことができた(と自分では思っている)のはひたすら自己に向き合ってきたからだと確信している。 音楽は高校時代から聞き始めたモダンジャズ一筋、手塚治虫の漫画やスティーブ・マクイーン、最近はダニエル・クレイグに憧れている。