鬼経理 百の掟 其之参拾弐「部分最適の集合が全体最適にならない理由」

masaです。今回は、今のmasaが直面している点について書きます。

masaが決算の管理者をしていた長い時期の話です。
決算が終わる都度、振り返りを行う。
毎度、改善点が出る。
年四回も決算やってて、なぜ、完璧に終われたためしがない。

そのことに長年イライラしておりました。

毎度同じ失敗というのはほとんど無い(ゼロとは言わない)。
それも人に起因することが多く、人が代って解消することもある。

細かいことを気にしすぎる、完璧主義、というのが要因か。

それもあるでしょうが、

実は、改善を加え、進歩していることに気づけず、いつしか「できて当たり前」というマインドブロックが形成され、自らどんどんハードルを上げてることに気づいてない、だから、最適に届いてないと感じてしまう。
最近、そう思うようになりました。
簿記3級も持ってない、経理業務したことない若い人たちが、何年かして決算書の一部、会計監査対応の一部ができるようになっているという実例を見てきました。
まさに習うより慣れろ、を地で行く感じです。
しかし、基礎がわからないので応用がききません。

最適から遠ざかってはいないように思うのですが、全体最適にはいつまで立っても到達しないとも思える。

masaは、いま、決算の管理者的立場から外れています。

部長とその補佐的人物が複数で管理していますが、全体最適になっていないように思えます。

masaが決算の管理者を担っていた時期の回想は、時間軸の前後で、時の経過とともに最適化に近づいているのか否か、でした。

部長はいましたが、ほぼmasa一人で仕切っていましたので、masa自身が思う最適な状態に向けて改善を続けていました。その間、会計監査人が代わったり、監査役が代わったりしていましたが、masa自身の軸は大きくはブレずにこれたと思っています、

現状の自部門では、自分が管理者の立場から外れているため、今の管理者の施策の良し悪しを客観的に見ることができます。同時に、自身のこだわり過ぎたところなども振り返る機会にもなっています。

管理者の全員が把握している業務範囲を足し合わせても、どうやら経理部の抱える業務の全てにはならないようです。

業務の分担表をせっせと改定するのですが、管理者の守備範囲を明確にしないで、作業者のローテーションだけいじっているので、管理者たちにとって舵取りができない業務があるのに、ただ作業者を取り替えているだけなので、問題が発生しても見えないし、丸投げなので、いつのまに依存していることにも気づけない。

隙間を一般社員が埋める構造になっていると、その者が離脱すると管理不在ぶりが浮き彫りになります。管理者は、そのときになって慌てます。
管理者達は、離脱した一般社員に依存していた業務を自分を含め社内に誰もできる者がいないことを認識したときに、
○○ができる者、○○をよく知っている者を探し始めるのです。

管理者が、所管の全ての業務を把握し、舵取りができるようになっているか、いの一番に棚卸しすべきです。たった一人でいいので、俯瞰して眺めている者がいればいい。管理者達全員が自分の最善を尽くしても漏れてたら何の意味も無いことに早く気づくべきです。

 

ABOUTこの記事をかいた人

1965年生まれ 会計士試験に5回挑戦後、会計事務所に就職、現在は一般企業の経理職を20年と経理一筋に生きてきた、さすらいの会計人(びと)。 会計で社会の未来を変えることを信じている。 内向的な性格を損だと思って生きてきたが、今では独自の世界観を築くことができた(と自分では思っている)のはひたすら自己に向き合ってきたからだと確信している。 音楽は高校時代から聞き始めたモダンジャズ一筋、手塚治虫の漫画やスティーブ・マクイーン、最近はダニエル・クレイグに憧れている。