喫煙習慣とおサラバしたたった一つの思考

masaは、2012年1月9日に最後の一服をして以来、喫煙を断っています。

それまでの喫煙歴は、20歳から途中2年の中断を経て、約25年でした。

4年間、1本も吸っていません。タバコのにおいがとてもイヤになりました。

 

「卒煙」のきっかけ

 

禁煙経験は豊富です。

最長で2年、長めで2か月程度、短くて半日。数えきれないくらい禁煙してきました。

そんなmasaがタバコをやめた、「卒煙」をしたきっかけとは?

 

2011年3月の東日本大震災にさかのぼります。

masaはオフィスビルの20階で業務中。突然、未経験の大きい揺れ。

電車2路線+バスで1時間半かけて通勤するmasaは、オフィスに寝泊まりを余儀なくされました。

20階から地上に非常階段でおりて、コンビニでカップラーメンを買い、休憩室で食べたあとに、15階の喫煙室まで階段を汗だくになって上り、2本ほど深く吸って、20階のオフィスに戻りました。

応接室のソファで横になる者もいましたが、腰が痛くなりそうなので、masaは席に座ったまま、まずい非常食をかじり、tvで被災地の様子を見ながら、眠れぬ一夜を過ごしました。

ターミナル駅でバスを待った人たち、何時間もかけて歩いて帰った人たちに比べれば体力的には楽だったとは思います。寝ることもできた。

しかし、夜中にずっと流れていたtvの被災地の様子は心にしっかりと焼き付いています。

自分は雨風をしのげて、飲食もできるし、タバコも吸える。東北の方々の大変さに比べれば、被害のうちにも入らない。

なんども禁煙しては復活し、やめたいと思いつつも、断つ勇気が持てない。

家族や財産を失って大変な状況にある東北の方々に比べて、禁煙できずにうじうじしている自分のふがいなさを責めるようになりました。

震災から9か月後の2012年1月9日午後9時。最寄り駅の公共喫煙所で最後の1本を吸い、masaの喫煙習慣は終了しました。

直前の電車に乗っている間、駅の売店で買った「禁煙セラピー」の本を読んでいました。

「なんだ、結局は本に頼ったということね」

と思われる方々も多いはず。

本の威力ととらえられても仕方ない。だからといって事実を隠蔽するのはmasaの生き方ではないので正直にいいます。

これも信じてほしいですが、正直言って、今では本の内容はあまり覚えてません。

なんとなく記憶しているのは、

「吸ってないときには脳がニコチンを補充するよう命令を出してきている。その状態はマイナスで、吸って脳にニコチンが届いた状態はプラスマイナスゼロに戻るだけ。またマイナスに戻り、脳がニコチンの欠乏を訴えてくる、これの繰り返し・・・」

という記述。

いわれてみると、喫煙所で火をつけて鼻から煙をムアーと吐き出した時の気分は、「美味しー」というよりは、

何か安心したような気分になっていると記憶します。

なんなんでしょうか?んー、、それは、

欠乏からの回避 ってことかと。

そんな気づきを得たような記憶がうっすらとあります。

他にも刺激を受けた記述もあったかもしれません。

セラピーの本は、その内容よりも、masaの禁煙の起爆剤として機能してくれたととらえています。

なので、読んだらすぐにやめられると誤解されたくない。本の威力は否定しないが、本だけで成功したのではない、と言いたいのです。

読む前に、依存してきたものを断つ意思はすでに心のなかで高まってきており、あとは点火装置を待つだけだったのだと、masaは分析しています。

 

で、たった一つの思考ってなによ?

 

 

では、そろそろ結論を言います。

 

震災後、結局まだ吸い続けているmasaは、東北の方々の苦労などまさに他人事で、のうのうと煙を吐き出す毎日を過ごしておりました。

何度かトライするのですが、結局また吸い始めるの繰り返しで、masaは自分の意志の弱さにほとほと嫌気がさしていました。

実際、masaの3倍の本数を1日に吸っている生粋のヘビースモーカーだった同じ職場の人が「卒煙」したことを知り、なんで自分はできないのか?

ついに、masaは、自身にこう問いかけます。

「いったい、オレはニコチンという物質にいつまで支配され続けなければならないのか?」

 

タバコ=嗜好品、大人のたしなみ、カッコイイ男の象徴

タバコ=人間の脳を支配する有害物質「ニコチン」の供給装置

への思考の転換がようやく実現しました。これが結論です。

 

震災の夜にtvのモニタで見た被災地の状況から、自身の意志力、自分をより良くするの力が無ければ、十分すぎるまで蓄えなければ、他人のことなど助けられないし、想いをよせても偽善にしかならない。

 

 

 

タバコごときに負けてどうする

 

しかし、ニコチンは強敵です。masaも20数年間、支配され続けたのです。

「卒煙」直後も、吸いたい気持ちに何度もさいなまれました。

飲酒はニコチン摂取の引き金になります。酒場など、喫煙者が多い場所には出向かない、宴会も極力参加しないことにしました。

分煙のない喫茶店に行くことも諦めました。

いままでのmasaは、上記のような習慣変更をする覚悟を自分に問い、やっぱり無理だからタバコつづけよう、という思考のループを繰り返してました。

今回は完全に逆です。ニコチンの支配から逃れるために、あらゆる手段を講じている。

ちなみに、禁煙パッチやガムは一切利用してません。

職場の同僚にも「卒煙」をすすめ、実際に「減煙」を経て「卒煙」できた者も出てきました。

masaがタバコなどの嗜好品に対し、ある「定義」をしており、それを話すことにしています。その「定義」が好影響を与えたのかは不明ですが。

「定義」は次回に。

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ABOUTこの記事をかいた人

1965年生まれ 会計士試験に5回挑戦後、会計事務所に就職、現在は一般企業の経理職を20年と経理一筋に生きてきた、さすらいの会計人(びと)。 会計で社会の未来を変えることを信じている。 内向的な性格を損だと思って生きてきたが、今では独自の世界観を築くことができた(と自分では思っている)のはひたすら自己に向き合ってきたからだと確信している。 音楽は高校時代から聞き始めたモダンジャズ一筋、手塚治虫の漫画やスティーブ・マクイーン、最近はダニエル・クレイグに憧れている。