masaです。自分にとって2016年は、映画館で映画を見た回数が最も多い年になりました。印象深い作品が数多くありますが、その中でもっとも感銘を受けた作品について書きます。
まだ公開中なのでネタバレになりますが、書きたい衝動を抑えられません。
「聖(さとし)の青春」
1999年に29歳で病気のため亡くなった棋士、村山聖氏の人生を描いた同名小説の映画化です。
将棋アプリで全然勝てなくていじけているmasaです。
NHK日曜午前の早指し将棋選手権もよく見ます。
感想戦といって、終わったあとに両者が振り返るのですが、初手から正確に思い出せるし、途中からリバースすることも自在なんですよね、あの人たちは。
駒の配置から、お互いの持ち駒(将棋は、敵の駒を取ったら活用できる)までも再現できるんです。
この局面でこう指されたら厳しかった、こっちの手の方がよかったか?などと駒を盤面で動かしながら話し合うんですが、その光景を見ていて、同じ人間でこうも違うのかとガックリします。
脳の使い方が根本的に違うんだ、この人(棋士)たちと私たち一般人とは。
奨励会という登竜門からふるいにかけられたプロ棋士のなかで、ごく一部の人たちだけが名人とか竜王とかのタイトルに挑戦できる。
1990年代に、羽生善治を中心とする若手世代に強力な棋士が登場し、将棋界が盛り上がっていたようですが、その頃、masaは将棋界に全く関心がなく、「東の羽生、西の村山」と並び称されていたことも今回の映画で初めて知りました。
うっすらと、なんか太った棋士がいたような記憶はあったのですが。
さて、太った棋士というのは、この作品の主人公である村山聖氏です。
同じ景色を見ようと誓いあった二人の天才
羽生善治といえば、将棋タイトルの7冠を獲得するなど、すでに存在が伝説になっている天才棋士です。
同世代では、森内、佐藤(康)、藤井といった今ではビッグネームとなった棋士が多く、「羽生世代」などと呼ばれていたようです。
幼少時にネフローゼという難病にかかり、入院生活の長かった村山氏は、5歳ごろ父親に将棋を教わります。
将棋にのめりこんだ村山少年は、天才棋士、谷川浩司氏にすごく影響を受け、将棋の名人になることを目指します。
映画のシーンの細かい解説は他に譲り、クライマックスの部分のみ書きます。
お互いにライバルと意識していたであろう村山氏と羽生氏は、対局後の会食の席を抜け出し、近所の定食屋でビールを飲みながら語りあう。
羽生が村山に「同じ景色を一緒に見たい」と言い、村山もうなづきます。
二人でしのぎをけづって、将棋界の頂点に立ちたいという羽生の気持ちに応えた村山。
村山の病状はガンを併発しさらに深刻な状態に。病気と闘いながら、鬼神のごとく勝ち進んで迎えた羽生との最後の闘い。
村山は終盤の大事な局面で、痛恨の“失着”(自分に不利な手を指してしまうこと)をしてしまいます。
村山の“失着”に気づいた羽生の顔に、苦悶の表情が浮かびます。
普通なら、相手の失敗で自分に勝利が転がり込んできたら、ガッツポーズは取らないまでも、穏やかな表情をするはず。
まして、このとき羽生自身が「自分の方が明らかに劣勢だった」と述懐しているぐらい、村山の一手で形勢が真逆になったわけですから、なおさらですよね。
なぜ、羽生は自分の勝ちを確信したにもかかわらず、苦悶したのか。
「村山君、君と同じ景色を見たかった僕の夢は、ついに果たされないようだね」
映画ではセリフもちろんありませんけど、masaはそう思いました。
羽生の絶望に近い気持ちの表れなのだと。
羽生は、村山の病状についてそれなりに聴かされてはいたのでしょう。快進撃とうらはらに悪化している病状の度合いを。
東出昌大の演じた羽生の表情を思い出すたびに、涙腺がゆるみます。
この対戦の数か月後に、村山は息をひきとります。
まとめ
将棋って、実に地味なんですよね、絵的に。
駒の音が静かに鳴り響くだけ。逆立ちして指したり、表情読まれないためにヘンなお面かぶったりもしないし。
勝ってもガッツポーズどころか微笑みも見せない。負けた方も泣きわめいたりしない。
好き好んで映画化したいと思いう人はいないでしょうと素人ながら思う。
村山氏に似せるためにムリに増量した主演の松山ケンイチも演技も素晴らしかったし、
羽生役の東出昌大が実際の羽生善治にかなり肉薄していた。脇を固める俳優陣も嫌味のない人選。
よくぞ映画化してくれたと拍手を送りたいです。
インターネットの発達により、実際の両者の対局記録(動画、棋譜)を見ることができます。
実際の村山氏ほど松山君は太れなかったとか、映画と違い早回し再生ような実際の終盤局面とか、駒をさばく手つきがどうだとか、リアルさはどうでもいいです。
お色気、バイオレンス、ギャグ この映画にはすべて存在しません。刺激が欲しいだけの人にはこの作品は間違ってもお勧めしません。
でも、masaは、この作品を、映画史に残すべきものだと確信しています。
この作品の価値は、映画化への努力もさることながら、村山氏の、精一杯、将棋に向き合うことへの執着が輝かしいものだから、それしかないし、それだけで十分なのだと。
将棋で頂点を目指す決意をした異能の集団で繰り広げられるまっすぐな闘いの場には余分な装飾など一切不要であるのだと。
悲運の天才棋士村山聖、それを支えた家族や師匠たち、羽生をはじめとしたライバル棋士たちへのリスペクトしかないのだと。
そんな輝かしい将棋界に無関心に過ごしていたmasaには激しい後悔しか残っていないのだと。
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